ノルマンディ地方の木組みの街並みに魅せられた
海辺の高級リゾート地にやってきた
ドーヴィル観光局のステファンから誘われて、リヨンからパリ経由でイギリス海峡の海辺の町ドーヴィルへ。列車に揺られて5時間、車窓から地域色豊かな景観の移り変わりを楽しみながら、トゥルーヴィル・ドーヴィル駅(Gare de Trouville-Deauville)に到着した。列車からホームに降り立ち、温度も湿度も匂いも触感も、リヨンとは違ったドーヴィルの空気を思いっきり吸い込んでみた。美味しい!
▼トゥルーヴィル・ドーヴィル駅
三角屋根の可愛い駅舎を後に、右方向にトゥルーヴィル・シュル・メールが、左方向にドーヴィルがある。トゥルーヴィル・シュル・メールは歴史ある漁港の町で、魚市場がおすすめときいている。翌朝、早起きしてトゥルーヴィル・シュル・メールの町歩きを楽しむ計画だ。今日は迷わず左方向へ進む。宿泊予定のホテルは、たしか駅から徒歩5分。グーグルマップで確認すると駅の横にあるロータリーをこえたところにあるようだ。「駅から近くて、方向音痴でも見つかるよ」って電話口で説明してくれたステファンおすすめホテルだ。まずは、ホテルにチェックインして身軽になろう!と、張り切って歩き始めて数分。「おぉ~」と声を張り上げてしまった。その理由はこの写真をご覧いただきたい。
▼ヨットハーバー「バッサン・モルニィ」(シックなマリーナ!)
パリジャンに愛されるドーヴィル
いきなり登場したヨットハーバー。海のない山梨県で生まれ育ち、そして今も海のないリヨンの町に住んでいる私は、海や船を見ると条件反射で声を張り上げてしまう。かつて、甲斐国の戦国大名だった武田信玄が海のある駿河国に侵攻した気持ちが痛いほどよくわかる。海が欲しい!それに尽きる。
19世紀、皇帝ナポレオン3世の時代、ドーヴィルは小さな漁村から高級リゾート地として整備された。1860年から1864年にかけて、ヴィラ(高級邸宅)が次々と建設され、競馬場やカジノが建ち、高級ブティックが店を構え、パリのブルジョワ階級が休暇を過ごす高級リゾート地へと発展する。ステファンが、「ドーヴィルの町はね。教会の前に競馬場が建設されたんだよ!フランスの町は教会を中心に広がっているけど、ドーヴィルは教会でなくて競馬場が町の中心にあるんだ」。競馬ファンの私は、この逸話ですっかりドーヴィルに魅了されてしまった。
ドーヴィルの発展はパリに近いというロケーションも大きく影響している。1863年にパリとドーヴィルが鉄道で結ばれ、パリから列車で6時間でドーヴィルに来ることができるようになった。今では、特急列車でパリからわずか2時間で来ることができる。21世紀に入ってもパリジャンの高級保養地として不動の人気を誇る理由もそこにあろう。パリに近い海辺の町なのだ。
写真のヨットハーバーは、ドーヴィルとトゥルーヴィル・シュル・メールの間を通ってイギリス海峡へと流れるラ・トゥク川の河口から水を引いて建設された。1866年の開港式に皇帝ナポレオン3世の妻であるウジェニー皇后が出席され、盛大に行われたようだ。皇帝ナポレオン3世は皇后のために大西洋沿岸の高級リゾート地ビアリッツに豪華なヴィラを建設していることから、ウジェニー皇后は海辺の町が好きだったようだ。
このヨットハーバーは、年々、停泊するヨットが増えてきたことから、1890年にヨットハーバーの拡張工事が行われた。現在、喫水2.5m、横幅4.5m、長さ15mに360隻のヨットを収容することができる。ドーヴィルの領主モルニィ公の名前を冠して「バッサン・モルニィ(Bassin Morny)」と名付けられている。
ヨットハーバーに沿ってマリーヌ沿岸通りを歩いていたら、ノルマンディー地方固有のティンバーフレーミング(フランス語でコロンバージュ)と呼ばれる木組みの建物が目に留まった。ノルマンディーと言えば木組みの家。リヨンでは見られない建築様式だからとても新鮮だ。
▼マリーヌ沿岸通りの木組みの建物(ヨットハーバーを眺める部屋に住んでみたい~、でも家賃が高そうだ)
駅からホテルに直行する予定だったのが、美しいヨットハーバーを半周していたら15時を過ぎてしまった。日が傾きかける前にドーヴィルの海辺を見たかったので、急いでホテルに向かい、チェックインを済ませ、一息入れる間もなくドーヴィルの町へ繰り出す。目指すはモルニィ広場のマルシェだ。
▼モルニィ広場に面して建つマルシェ
ホテルから5分ほど歩くと、モルニィ広場に面して屋根付き野外市場が現れた。ノルマンディ地方固有の瓦屋根とティンバーフレーミングの可愛らしい建物だ。1923年に設置された歴史ある市場で、毎朝7時から13時30分までオープン。地元生産者直販の野菜・果物、ノルマンディー産の鶏、チーズ(ノルマンディーはチーズ王国)、肉加工品、そしてシーフードなど、ノルマンディ郷土料理の基礎となる食材が並ぶ。まさに町人の胃袋といえよう。
▼平日の朝のマルシェ
ドーヴィル創設者モルニィ侯爵
モルニィ広場は、ドーヴィルのおへそにあたり、広場から8本の道路が、駅方面、海岸方面、競馬場方面へとドーヴィルの主要な場所に向かって放射線状に延びている。中央に噴水が置かれ、夏は水しぶきで涼しげな雰囲気を呈するが、この日は噴水も休みだった(淋しい)。広場を囲んでブラッスリー、カフェ、商店が建ち並び、ドーヴィルで最もにぎわう場所の一つ。広場の名前は、ヨットハーバーにも登場したモルニィ公爵にちなんで名づけられ、モルニィ公爵の像が広場から遠くを見渡しているのが印象的だ。実は、この像はブロンズ製だったが、第二次世界大戦でドイツ軍によって溶解されてしまい、1955年に現在の像が再建されたとのこと。そういえば、ノルマンディ地方は第二次世界大戦中に過激な戦場と化し、1944年の連合軍によるノルマンディ上陸作戦は史上最大規模の上陸戦が繰り広げられたという歴史がある。
▼モルニィ広場を見渡すかのように建つモルニィ公爵の像
▼モルニィ広場に面したブラッスリーの美しい建物
写真からは分かりづらいが、どのヴィラにも三角屋根の頂点にオブジェが見える。ブラッスリーの屋根にも尖がったものが見える。セラミック製のオブジェで、鳥や馬や猫などの動物を形どったものが多い。ヴィラのオーナーが個性的なデザインでアトリエに特注し、こうして屋根を飾る伝統があるようだ。このオブジェは裕福さのシンボルであり、大きいものであればそれだけ財力があるということを表わしている。ドーヴィルの伝統的な屋根装飾は現在も引き継がれ、ラ・ポトリー・デュ・メニル・ド・バヴァン(La Poterie du Mesnil de Bavent)というアトリエで製作されている。街歩きで屋根の装飾も見逃せない。
「あっ、16時を過ぎてしまった!はやく海岸まで行かねば」と、急ぎ足で広場を後にした。リヨンの石造りの街並みとは異なり、木を用いた温かみのある建物に心を躍らせ、海辺へと向かう道をひたすら進む。
▼ドーヴィルの街並み(なんてお洒落なバルコニーだろう!)
▼ドーヴィルの街並み(ブティックも素敵だが、路上駐車している高級車にも驚きだ)
途中、豪華な建物が見えたので近づいてみると、フランスの国旗とノルマンディー地方の旗が掲げられていた。「ああ、これがドーヴィル市庁舎だ」
ステファンが「マダムユキ、ドーヴィルの町で観光客に大人気のフォトジェニックな場所がどこだか知っている?」と聞かれ、「もちろん、オテル・ル・ノルマンディーでしょう」と答えたら、「はずれ!」「えっ、違うの?」「ドーヴィル市庁舎だよ。ドーヴィルにきたら見てごらん。素敵な建物だよ!」と言ってたけど、本当だった。立派な建物だ。こちらの写真をご覧あれ。
▼ドーヴィル市庁舎(ドーヴィル一番人気の建造物!)
さらに、海辺へと進んでいくと、19世紀から20世紀に建てられたヴィラを改装した高級ブティックが並ぶ通りが現れた。なんて素敵な街並みだろうか。まるでおとぎの国にきたようだ。高級ブランド「エルメス」店も、「かわい~」って叫んでしまうほどキュートだ。
▼とてもチャーミングな店構えの「エルメス」
▼高級ブランド通り
▼高級ブランド通り
▼屋根がステキで目が離せない
憧れのオテル・ル・ノルマンディ
「あっ、あれがオテル・ル・ノルマンディだ!」
芝生に覆われた広場の向こうにグリーンで塗装された木組みで、ベルエポック時代を彷彿とさせるシックなヴィラが現れた。伝説の「オテル・バリエール・ル・ノルマンディ(Hôtel Barrière Le Normandy)」。1966年にカンヌ映画祭の最高賞パルム・ドールを獲得したクロード・ルルーシュ監督の映画『男と女(Un homme et une femme)』の舞台となったホテル。映画ファンの憧れの場所。撮影で使われたスイーツルームは「男と女」と名付けられ、予約がとれない人気の部屋となっている。
「一生に一度は泊まってみたい」とうっとり羨望のまなざしで眺めてはため息をつき、せめてセレブが集う人気のバー「ノルマンディ」のカウンター席で、グラス1杯を自分にご馳走しようと夢見ていたが、コロナ禍で飲食店はすべて閉店中。オテル・ル・ノルマンディも休業中だった。残念・無念・がっかり、とほほ…。肩を落として、ホテルを後にした。
▼オテル・ル・ノルマンディ前のフランソワ・アンドレ庭園
▼オテル・ル・ノルマンディの正面エントランス
海へと続くルシアン・バリエール通りを足早に歩いていると、長年にわたりシャネルのヘッドデザイナーを務めたカール・ラガフェルド氏のサイン入りでココ・シャネルと書かれたイラストが飾られた壁を見つけた。1910年にパリに帽子店をオープンしたガブリエル・シャネルが、1913年、第二号店となるモードのブティックをドーヴィルにオープンした。その記念すべき場所が今でもこうして残されている。シャネルファンの巡礼地となっているようだ。
▼1913年、パリに次いで2軒目のシャネルのブティックがオープンした歴史的な場所
次回は、「やっと海辺に到着した」、感動の様子をお伝えしたい。お楽しみに。
文・写真:マダムユキ(著作権保護により無断複写・複製は禁じられています)